カイコハナサナギタケ冬虫夏草由来の成分(ナトリード)がアルツハイマー病モデル生物の学習機能の低下を防ぐ

掲載日2025.03.27
最新研究

農学部 食料農学科 食品健康科学コース(旧所属:理工学部)
助教 若林篤光
分子遺伝学、神経科学

概要

岩手大学理工学部の若林篤光らの研究グループは、岩手大学の鈴木幸一名誉教授(故人)が起業した岩手大学発ベンチャー企業(株)バイオコクーン研究所と共同研究を行い、カイコハナサナギタケ冬虫夏草(以下、カイコ冬虫夏草)由来の成分(ナトリード)の摂取が、アルツハイマー病のモデル線虫に認められる学習機能の低下を防ぐことを明らかにしました。
本研究では、線虫の神経細胞にアルツハイマー病の原因の一つとして考えられているヒトのアミロイドβ(Aβ)タンパク質を大量発現させることにより、におい学習行動が失われるトランスジェニック線虫を用いました。このモデル線虫に対して、ナトリードを投与することで、におい学習行動が維持されることが示されました。本成果は、Aβタンパク質がもたらす神経細胞機能の異常をナトリードが緩和する可能性を示すものであり、従来から健康食品として親しまれてきたカイコ冬虫夏草の摂取が、アルツハイマー病に見られる神経系機能の異常を予防する、あるいは進行を遅らせる効果を持つことが期待されます。

背景

日本は超高齢化社会に突入しています。この中で65歳以上の高齢者のおよそ8人に1人、80歳以上では約3人に1人程度が認知症を抱えていると言われています。その中でも、約68%と多くの割合を占めるのがアルツハイマー型認知症です。最近、このアルツハイマー型認知症に対する新たな治療薬が認可されました。しかし、依然としてこの病気を治療したり予防したりする新たな方法への期待は大きく、社会全体でその必要性が高まっています。

図1 ハナサナギタケとナトリード

ハナサナギタケ(Isaria japonica)は漢方薬としても知られる冬虫夏草の一種です。共同研究者の所属する(株)バイオコクーン研究所はこれまでに、独自製法により作出したカイコハナサナギタケ冬虫夏草の抽出物から新しい環状ペプチド“ナトリード”を発見しています(図1)。このナトリードについて同社はこれまでに、個体レベルでは老化促進モデルマウスの空間記憶の改善効果があること、細胞レベルでは脳のグリア細胞の増殖や、神経細胞突起の伸長を促進するとともに炎症を抑制する作用があることを報告しています(参考文献1)。
今回、我々はナトリードが高齢者にとって大きな社会問題である認知症、特に最も多いアルツハイマー型認知症に対してどのような効果を持つかを検討しました。このために、神経系においてヒトのAβタンパク質を大量発現するアルツハイマー病モデル線虫を用いてナトリード投与の影響を調べました。

発表内容

アルツハイマー病は認知症の主な原因となる神経変性疾患の一つです。その原因についてはいくつかの説がありますが、その中でも有力なのがアミロイド仮説です。この仮説では、Aβタンパク質が過剰に蓄積することで細胞機能が失われ、脳機能が損なわれると考えられています。実験に用いたCL2355系統の線虫は飼育温度を少し高くすることで、線虫の神経系においてヒトのAβタンパク質を大量発現するトランスジェニック線虫です。この線虫では、走化性をはじめとする様々な行動に悪影響が見られることから、アルツハイマー病のモデル動物として広く用いられています(参考文献2)。

図2 ナトリードを摂取するとアルツハイマー病モデル線虫の学習機能が維持される

正常な線虫では、もともとは好きなにおいであっても、エサのない状況(飢餓状態)で、その好きなにおいに一定時間さらされると、好きでなくなるという、連合学習と呼ばれる現象が認められますが、アルツハイマー病モデル線虫ではこの学習が失われます。ところが、卵から孵った時からナトリードをエサと共に与えて飼育したアルツハイマー病モデル線虫では、学習の能力が維持されることがわかりました(図2)。このことはナトリードがAβタンパク質による神経細胞の機能の低下に対して予防的、あるいは進行を顕著に遅らせる効果を持つことを示唆しています。またこのモデル線虫では、寿命の短縮も観察されましたが、ナトリード投与はこれに対しても改善効果を示しました。

今後の展開

今回の成果は、従来健康食品として親しまれてきたカイコ冬虫夏草由来成分の摂取が、アミロイドβタンパク質の蓄積によって引き起こされる神経細胞機能の異常を緩和することを示しており、すでに分かっている記憶改善効果、神経細胞の成長促進に加え、アルツハイマー型認知症に対しても予防的な効果や進行を遅らせる働きが期待できます。
今後は、Aβに対するナトリードの作用機構の詳細なメカニズムの解明に向けて研究を進めていく必要があります。

掲載論文

題 目:Naturido alleviates amyloid β????-induced adverse effects in a transgenic Caenorhabditis elegans model of Alzheimer's disease.
著 者:シラパコング ピヤマース、若林篤光、鈴木幸一
誌 名:PLOS One
論文URL: https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0320636
公表日:2025年3月27日

用語解説

  • 冬虫夏草
    昆虫に寄生する菌類、子実体(キノコ様の構造体)を発生させる。冬虫夏草の一種であるコウモリガ冬虫夏草(Cordyceps sinensis)は漢方薬として用いられる。今回用いたのは国内で採取されたハナサナギタケ(Isaria japonica)。
  • 線虫
    体長約1mm、約1000個の細胞からなる非常に単純な体を持つ多細胞生物。神経系、筋、消化器系など動物としての基本的な構造を有することから、神経科学、分子遺伝学をはじめとする様々な研究分野で実験動物として用いられている。
  • トランスジェニック線虫
    人為的に(人工の)遺伝子を導入した線虫系統をいう。今回の例では、線虫の神経細胞で選択的にヒト由来のアミロイドβタンパク質を作るよう改変した線虫を指す。先行研究では、イチョウ葉エキスやポリフェノールなどの効果についても同じ線虫モデルを使用して評価されている。
  • 走化性
    生物が特定の化学物質に反応して、物質の濃度が高い方向や低い方向に移動する性質のこと。例えば、細菌や線虫が栄養分に向かって移動したり(正の走化性)、有害物質から遠ざかったりする(負の走化性)現象がこれに当たる。
  • 連合学習
    “パブロフの犬”として知られるような、音と肉などのように本来無関係な二つの事象が対になって与えられる経験を繰り返すことにより、その2つの事象の間に関連性を見出すようになるような変化(学習)を指す。
参考文献
  1. Ishiguro et. al. PLOS One 16: e0245235 (2021). doi: 10.1371/journal.pone.0245235.
  2. Wu et.al. J. Neuroscience 26: 13102-13113 (2006) doi:10.1523/JNEUROSCI.3448-06.2006
本件に関する問い合わせ先

理工学部 化学?生命理工学科
助教 若林篤光
wakat@iwate-u.ac.jp
019-621-6366